芭蕉たちが「おくのほそ道」で出羽の国への第一歩をしるした小国郷(現最上町)。
一行は堺田に2泊し、その後山刀伐峠を越えて尾花沢に向かいました。 堺田〜山刀伐峠間には、数多くの史跡があり、当時の面影を偲ぶことができます。 |
■堺田の八幡宮
堺田集落の東端、かつての国境、現在の山形・宮城両県境の近くに所在します。2間4面のお堂で、祭神は誉田別尊(応神天皇)。江戸期には境内が750坪もありました。堺田の鎮守の宮であり、境内には土産神を祀る地蔵堂もあります。 |
■封人の家(旧有路家住宅)
通称の「封人の家」とは、国境を守る役人の家という意味です。江戸初期に創建され、山形県東北部に見られた寄棟造り広間型民家の代表的なもので、重要文化財に指定されています。庄屋住宅兼役場で旅館の機能もありましたが、最も特徴的なのは土間に馬小屋があったことです。かつての最上町は馬の産地として発展しており、その歴史的特色を伝える構造といえます。 |
■小力明神
堺田の西方は「こずかっ原」という標高350mほどの台地になっています。その一角に、こずかっ原を開拓した田沢主税介を祀る石組みの小さな万年堂があり、小力明神と呼ばれています。 |
■笹森口留番所
出羽街道中山越の交通を取締まるために設置されていました。寛永7年(1630)までは岸喜左衛門という者が、翌寛永8年から廃藩までの240年間は、佐藤家が世襲で番人を務めていました。 |
■国分大明神
小国郷(最上町)の開祖、田沢内匠介の子右近とその妻を祀っていて、「小草分明神」とも呼ばれています。古くは現在よりもやや東側の、「なんばスズ」という泉のある場所に祀られていました。 |
■新屋聖観音
かつて新屋には1つの集落がありました。その新屋の村人が、守り神として祀っていた聖観音です。現在のお堂には、文化年間(1804〜1817)からの信仰を伝える木札や絵馬が掲げられています。山刀伐峠越えの道は、新屋聖観音の前を通っていました。 |
■富山馬頭観音
浪高山東善院(天台宗)の観音堂に祀られ、最上33観音の第31番札所となっています。貞観5年(863)、慈覚大師の開祖と伝えられ、東北3大馬頭観音の1つです。小国郷(最上町)をはじめ、広く岩手・宮城両県の馬産家からも馬の守護神として崇められ、江戸期には新庄藩の祈願所ともなっていました。200面近くの絵馬、トチの古木など数多くの文化財があります。 |
■万騎の原古戦場
天正8年(1580)7月、時の小国領主細川氏は、山形城主最上義光の軍勢によって滅ぼされました。その時の主合戦場が万騎の原であったと伝えられています。毎年8月15日、討死した将兵の霊を弔う例祭が行われています。 |
■赤倉温泉 貞観5年(863)に慈覚大師が開湯した温泉と伝えられています。大師の掘った湯は万病にきくとの評判で湯治客が増え、その後この温泉は翁山参詣の宿場ともなり、大変にぎわったそうです。江戸期には、新庄藩の管理下に湯守が置かれて、温泉が利用されていました。現在では宿泊施設11、収容人員920名余の温泉場となっています。 |
(C)2001 おくのほそ道山刀伐峠保全整備協議会 | 次のページへ→ |